太陽の消えた世界

―4―


塚本天満は足だけは力無く家路へ向けながらも、頭と心の中は混乱の極致にあった。

「今日は播磨君につきあってもらって、烏丸君に渡すチョコレートを買いに行く」
何でもないごく普通の平凡な一日、というわけでもないけれど
あくまで一番大事なのは明後日のバレンタイン当日、
今日はそこまでのものすごく重要な意味を持つ一日ではないはずだった。

だがこの日…彼女の日常の風景の、確かに一部であった部分が突然粉々に壊れてしまった――

 

 

 

その瞬間、天満は一体何が起きたのかわけがわからなかった。
播磨とぶつかって転んだはずの自分の目の前に、なぜかあの時の『変態さん』がいるのだ。
しかもなぜかさっきまで播磨が着ていた服と同じ格好をしていて、
その上顔もなんとなく播磨と似ているような気がする。
更にさっきこの男が慌てて拾ったサングラスは、普段播磨がしている物と同じ形をしていた。

だがこの男は間違いなく播磨ではなくあの時の変態さんである。
さっき、あの時と同じ体勢で顔を見てはっきりと思い出したのだ。
となると播磨は一体どこへ消えたのだろうか?



…そう、この状況に至ってそれでもなお、天満の脳細胞は
播磨=変態さんと結論づけることを拒否していた。
それは彼女の知る播磨拳児という男と変態さんの記憶とが
あまりにかけ離れていたというのもあるが、それよりも何よりも

――――あんないいコな八雲が選んだ人が、実は変態さんだったなんて
――――この世にそんな酷い話があっていいはずがない

この一点を拠り所にその結論を拒み続けていたのだ。



だがその最後の望みも、目の前の男が発した「立てよ塚本」の一言によって全て打ち砕かれる。
その声、口調、『塚本』という自分の呼び方…全てが紛れもなく播磨拳児のものだった。
そしてその事実は天満を打ちのめした。

思わず取り乱した。裏切られた、そう思った。
わたしの前にも八雲の前にももう二度と現れないで、そう叫びたくなった。
…だがその瞬間天満の脳裏に浮かんだのは、今日家を出る前の八雲の姿。
一生懸命チョコを作るその姿は、暴かれた事実をより一層哀しく感じさせたが
その一方で天満に別の新たな思いを生じさせた。


 確かにこの衝撃の事実は八雲を悲しませるだろう
 けれど何も知らせずに彼と引き離されたら、八雲はきっとその何倍も悲しむに違いない


そう考えると、なんだか少し落ち着いた。
この事実はやはり知らせなくてはいけない。自分から聞かされるよりは
播磨から直接話してもらったほうが八雲にとってはいいだろう。
…もし、もし八雲がその事実を知ってそれでも播磨を許すと言ったら?
その時は…その時は自分も播磨を許すべきなのだろうか…

天満は播磨に頼んだ、とにかく自分の口から八雲に話して欲しいと。
言われなくてもそのつもりだと答える播磨。その真摯な態度を見て、天満は少し安心する。
やはり彼は、自分の知っている播磨拳児だ。今の彼なら、たぶん信じられる。
(わたし自身が昔のことを完全に許せるかどうかはわからないけど
八雲が播磨君のことを許したいなら、それには反対しないことにしよう。
…そう、わたしは八雲のお姉ちゃんなんだから。)

 

 

 

だが天満がそのことを告げると、播磨は突然自分と八雲は付き合ってないんだと言い出し
最初は自分に反対されると困るからそんなことを言い出したんだと思ったが
どうも様子がおかしい。それでどういうことか問いただしたら…告白された。

――――播磨君は八雲じゃなくてわたしが好き。愛理ちゃんでも美コちゃんでもなくてわたしが…

 

 

 

播磨の話は驚きの連続であった。
曰く、八雲には漫画を手伝ってもらっていただけであると。
曰く、愛理には天満と間違えて告白したんだと。
曰く、なんでそこで美琴が出てくるのかがそもそもわからないと。
(天満自身そう言われて、あの時何故そう思ったのか既に忘れてて答えられなかったわけだが)


…そして曰く、変態さんの件は天満が寝ぼけて播磨に抱きついたのだと。


この件については、播磨は証明のしようもないし自分がそう言ってるだけなのだから
信じてくれなくてもいいと言った。確かにあの時からずっと自分に
好意を持っていたというのなら、播磨が自分に話した内容よりも
「助けて連れて帰ったら思いのほか好みのタイプだったので思わず
襲ってしまって、逃げられたけど諦めきれずにどこの高校行くか突き止めて
変装して何食わぬ顔で隣にいてじっと機会を伺っていた」という話の方が自然ではある。

だが天満はなんとなく播磨の話は本当かも知れないと感じていた。
…その方が彼女の知る播磨拳児像とすんなり繋がるような気がしたから。
もっとも播磨が好きなのは天満だったという時点でその『播磨拳児像』とやらは
根底から覆されてるので、結局の所はよくわからないわけだが。




「あ〜ぁ、どうしよう…」天満は力無く呟く。
もちろん告白に対する返事のことでは残念ながらない。
確かに播磨は天満の返事も聞かず「…じゃ、烏丸に告白頑張れよ」
と言い残してどこかに消えてしまったわけだが、どのみち今の天満にとって
烏丸以外からの告白に対する返事はNo以外あり得ないのだから同じ事だ。
播磨もたぶんそれがわかっていたから返事は聞くまでもないと思ったのだろう。

だが告白に対する返事がNoだということは、その相手が
自分にとって不必要な人間であるということと同義ではない。
今の天満にとって播磨は決して「ただ席が隣なだけのクラスメート」ではなかった。
確かに今までの関係が播磨にとっては甚だ不本意でつらいものであったのは理解してるし
彼の気持ちを知ってしまった以上これからも今まで通りの関係を求めるのは
無理なことであり自分のワガママだともわかってはいるのだが、
それでも天満にとっても播磨とのこれまでの関係が切れることは
十分に悲しい、できることならば避けたいことではあった。

…播磨が烏丸に告白頑張れと言い残して去っていったあの時、その背中があまりに
寂しそうで、今止めないと彼がそのままどこかへ消えてしまいそうな不安に襲われた。
そういう不安を感じる程度には、天満も播磨のことを必要としていたのだ。

しかし結局は「ごめんなさい」以外播磨に言うべき言葉を持たない天満に
彼を引き止める術などありはしなかったのだが…


 どうすればいいんだろう。どうすればよかったんだろう。
 ――答えは出ない。


そしてもう一つの、ある意味播磨との今後の関係について以上に
天満の頭を悩ませている原因、それが八雲のことであった。

 

 

 

…八雲が播磨へのチョコを作り終え、さてじゃあ夕食は何にしようかと
冷蔵庫を物色していると玄関から天満の「ただいま〜」という声が聞こえてきた。

(どうしたんだろう、声に元気がない)

いいチョコが見つからなかったのだろうか、そんなことを考えながら
玄関のほうに向かった八雲の目に飛び込んできたのは




 どうしよう 播磨君に告白された ごめんね八雲 知らなかった 漫画 お手伝い




…こんな心の声を背負った姉の姿だった。

続く

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