太陽の消えた世界

―5―


天満が靴を脱ぎ終え、玄関から上がろうと顔を上げたら八雲と目が合った。
なにやら悲しそうな顔をして呆然と立ち尽くしている。

(何かあったの、わかっちゃったかな…そりゃそうだよね、烏丸君へのチョコ
買いに行ったはずなのにしょぼくれて帰ってきたんだから…)

まさか八雲が自分の心の声を読んでるとは夢にも思わない天満は
固まったままの八雲の横をすれ違いざまにポン、と肩に手を置き




「ごめんね八雲…もう漫画のこと隠さなくていいから」




とだけ声をかける。その言葉でハッと我に返った八雲が慌てて
姉さん、播磨さんと何かと尋ねるのに天満は答えず、

「ねぇ八雲…八雲は知ってたの?播磨君のキモチ…」

と逆に聞き返す。

「うん…なんとなくうすうすとは…漫画のヒロイン姉さんに似てたし…」
「そうなんだ…」

でも確証がなかったから、と続ける八雲に天満はいいよ、別に
なんで教えてくれなかったのって責めてる訳じゃないからと返しながら力無く微笑む。


「謝らなきゃいけないのはわたしのほうだよ…わたし何も知らずに
ずいぶん酷いことしてたんだね…播磨君にも、八雲にも。」
「姉さん…」


これじゃお姉ちゃん失格だね、と自嘲気味に呟きながら天満は自分の部屋へ消えていった。

 

 

 

八雲はまだ一人呆然と立ち尽くしていた。

「播磨さんが…姉さんに告白…」

先ほど天満にも話したように、八雲は播磨が好きなのは天満だろうと
うすうすは感じていた。ただ確証が得られていなかっただけ。
だからその事実はさほど驚くべきには値しない情報のはず。

(…そっか、もう漫画のことも隠さなくていいんだ…じゃあ誤解もきっと
すぐに解けるはずだよね…だいいち播磨さんは姉さんに告白したわけだし…)

そう考えながら自然と足が向かった先は台所。
そこにはさっき出来たばかりの播磨に渡すつもりだったチョコレートが。

「どうしようこれ…」

もう渡す必要はなくなった。でもせっかく作ったんだからもったいないし
やっぱり食べてもらおうかな…一瞬、ほんの一瞬だけそう思う。
だが渡す口実が無くなったという事実は、そんな八雲のなけなしの勇気をしぼませるには十分過ぎた。

「もう渡せない、よね…」

八雲は大きく一つため息をついた。

 

 

 

…姉さんゴハンできたよとドアの向こうで呼んでいる八雲に
ゴメンね、今日はいらないと返事をする。

何というか、一人になりたかった。
例えそれが八雲でも…いやむしろ八雲だからこそ、今は顔を合わせたくなかった。
自分がこれまでしてきた勘違いの罪深さに今以上に苛まれそうだったから。


 烏丸を追いかけている自分、その距離はだんだん縮んできてるような気がして。
 横を見ると頑張れと応援してくれている愛理と美琴と晶がいて。
 そして反対側を向くと、そこには八雲と播磨が二人寄り添っていつも微笑んでくれている――


天満にとってのこの世界のありようとは、少なくとも今日まではそういう形だった。
そしてまだ烏丸が自分の隣にいてくれないという点では大いに不満だったが、
それでも天満は今のこの世界が大好きであった。

だがそれは幻想に過ぎなかった。
播磨はその笑顔の後ろに自分への秘めた想いを隠し持ち、いつも心の中では涙を流していた。
八雲は自分にすら――いや、自分だからこそか――助けを求めることも出来ず一人秘密を抱え込んで苦しんでいた。
大切な存在、そう思っていた二人の苦悩に自分は気付きもしなかったのだ。

「わたし、最低だ…」

天満は心の中で呟く。ねぇ播磨君、どうしてわたしなの?助けてくれた人を変態呼ばわりして、
あなたの気持ちに気付きもしないで告白の練習させたりお猿さんだって決めつけたり
妹のカレシだと思いこんで自分の好きな人へのプレゼント買うのに付き合わせたりするような
そんな酷い女を、なんでそれでも好きだって言えるの?好きで居続けられるの?
ねぇ、なんで八雲じゃなくてわたしなの?ねぇ答えてよ播磨君…


ふと目に飛び込んできた、菓子店の名前が入った紙袋を手に取る。
袋の外に少し顔を出しているハート形の大きな包みは、勿論烏丸用の本命チョコ。
…そしてその横に隠れるように入っていたガラスの小瓶に詰められたチョコと、2個のキーホルダーを取り出す。

 

 

 

そのキーホルダーは、サングラスをかけたキリンのキャラクターをかたどったもので。

 

 

 

「どうしようこれ…」天満が悲しそうに呟く。
そう、あの時――天満が急に振り返って播磨とぶつかった時――天満はこれを渡そうとしていたのだ。
チョコレートは今日のお礼と日頃の感謝を兼ねて。そしてキーホルダーは1個を播磨に、もう1個を八雲に。

…キリンの人。八雲が播磨に初めて興味を持ちだした頃、彼のことをそう呼んでいた。
そして後で八雲から聞かされた、二人が共に戦った夏の終わりの小さな戦いの話。


――――だからね播磨君、これは言うなれば『二人の絆の証し』なんだよ…か。


それはつまり天満がこの今までの人間関係を好ましく思い、それが続くことを願っていた証しでもあって。
だがその行動の結果いともあっけなくこれまでの関係が崩れてしまったのだから、それはあまりにも悲しい皮肉…

「もう渡せない、よね…」

天満は再びそれを袋の中にしまい、また一つため息をついた。

(続く)

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